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  • 執筆者の写真bsH&B

ヨガ2017.12.8



ヨガ府中

ヨガ 今までで一番繋がりを無理なく感じられたようでした。 無駄な所の筋の緊張が抜けた分 身体の繋がりと流れをより感じられたようでした。 その無理無駄なく繋がりを感じられることにより、 床(地)との関わりも無理無駄なく繋がり合わせられ(調和的同調的な感覚)、天井(天)との関わりも無理無駄なく繋がり合わせられる感じでした。

その感覚は身体であって身体でないと言えるかもしれません。

繋がり流れを通していければ、身体を全身で捉えられ天や地との関りも感じ捉えられ、その関係性をバランスよく(丁度良く)構築できるのではという感じです。 なので、身体の力を込めて形や動きが「できる」「こなす」だけで何とかするということではなく、空間との関わりも感じつつ身体とどう繋がり関わり、通していくかということをより感じられ思えました。

それらが言葉を変えれば、天と繋がるとか、地と一体になるとか、空間と調和とか同調するということに言い換えられるのかもしれません。

そこには、身体をより細かく(繊細に)感じられたり、捉えていくことはかなり重要であると思います。 漠然とした、何となく、大ざっぱな身体の感じ方では、身体の全体性や天地、空間との関りもしにくいことになるでしょう。

身体の緊張や部分が凝る、張るというのも 身体を細かく感じられていなかったり、捉えていないために、何となく感じられたり拠り所ができるところに頼り切ってしまい、感じられない捉えられない所をより使わないでいいようにしているということもあるでしょう。

部分や全体での過緊張や無理、無駄な力や無意識のなかでの過緊張及び無理無駄な力であれば、その部分に拠り所を作りそこに依存させてしまい、繋がりや流れが滞る! 全体の力みや頑張りでは身体の流れや繋がりは出てこない。 これらは、自分の身体だけもしくは部分だけで捉えているように感じます。 しかし案外「やった感」「頑張った感」はあるかもしれません。

ただそれらは、身体の緊張や無理無駄な力に対する抵抗をしているだけなので、本来の出したい方向、流したい、通したい、繋げたいということとは違う様に思います。 それらをいかに無くすか、やめるか、無理無駄にならないように違う選択をしていくか、自分の身体の感覚や感じることを細かく詳細にしていくかで、いかに無駄や無理な力に頼らずにいられるかが知れ、本来の目的目標の方向や全体に力を通したり、バランスがとれたりと力の感覚や流れや方向を感じとれるようになると思います。

そして、空間とのバランスや天や地との自分、もしくは自分の力とのバランスや丁度いい関わり合いも感じ知れるようになり、 自分自身の中も、空間の中の自分も、居心地が良い状態でいられるのではと感じ想います。

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